アナリストの忙中閑話【第34回】

アナリストの忙中閑話

(2014年4月21日)

【第34回】人命優先、事故の記憶を風化させない

金融経済調査部 金融財政アナリスト 末澤 豪謙

韓国南西部沖で旅客船が沈没事故、死者・行方不明約300人に上る大惨事に

4月16日に韓国南西部沖で発生した旅客船セウォル号沈没事故は、死者・行方不明者合わせて約300人に上る大惨事となった。
同船には、乗員乗客462人が乗船していたが、修学旅行中の高校生325人と教師15人が事故に巻き込まれ、その多くが今なお行方不明となっている。
被害者のご家族の方々には、心よりお見舞い申し上げるとともに、行方不明者の一刻も早い救出を願いたい。

航海士の操船ミスと無理な船体改造等が転覆の要因との見方が強まっているが、船長や船員がいち早く脱出した一方で、多くの乗客が船に取り残されたことに、批判が集まっている。
朝鮮日報によると、乗組員は69%(29人中20人)の生存が確認されたのに対し、修学旅行中だった安山・檀園高校2年生の救出率は23%にすぎないとのことだ(4月18日10時時点)。

マレーシア航空機の捜索も難航

一方、3月8日には、乗員乗客239人が搭乗したマレーシア航空MH370便(ボーイング777)が、クアラルンプールから北京に向かう途中、消息を絶った。
オーストラリア南西のインド洋に墜落したとの見方が強まっているものの、消息不明となってから1カ月半を過ぎた今日でも、依然、この航空機の墜落を証明する確たる証拠は見つかっていない。既にブラックボックスの稼働も止まり、無人潜水艇による捜索も難航している模様だ。
被害者の家族の方々には、心よりお見舞い申し上げるとともに、捜索の進展を期待したい。

二つの事故は、当事国のみならず、世界中のマスコミが取り上げているが、どちらも21世紀の事故とは思えないほど、行方不明者の数が膨大で、残された家族の悲痛な表情がテレビニュースに溢れかえる状況が続いており、痛ましい。

約100年前の4月には、タイタニック号の沈没事故で約1,500人が犠牲に

こうした中、韓国のマスコミ等では、セウォル号沈没事故と今から約100年前の1912年に北大西洋で沈没した豪華客船タイタニック号の事故を比較した論説が目立つ。乗船者の救出率はタイタニック号の事故の32%に対し、今回の事故では17日までに37.8%にとどまっている(朝鮮日報)。
ちなみに、タイタニック号では、当時の船長は船とともに海に沈んだとされる。
タイタニック号は英国籍の豪華客船で、1912年4月の処女航海中に、北大西洋で氷山と衝突、同月15日未明に沈没した。
タイタニック号事故は、幾度か映画化もされているが、1997年公開のジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」では、当時の英国客船沈没時の避難の優先順位等も描かれている。乗客数に定員が足りない救命ボートには、まずは、子供と女性が乗船。その後、余裕があれば、乗客男性、その後、乗員という順番だった。一部は演出が含まれていようが、乗船者2,208名(諸説有)中、1,513人(諸説有)が死者・行方不明となったが、男性の生存率(約2割)が女性の生存率(約7割)や子供の生存率(約5割)を大きく下回っていることからも、女性や子供が優先されたことは間違いなさそうだ。
今回のセウォル号の事故の真の要因は、船体の引き揚げ後には解明されるだろう。また、マレーシア機の失踪の背景も、将来、フライトレコーダーが回収されれば明らかとなるものと予想される。今後の教訓に繋げるためにも、事故原因の徹底究明が必要だろう。

我が国でも過去、船や飛行機の大きな事故が発生

船や飛行機の大事故は、国内でも過去、幾度か起きている。
一番直近の大事故は、30年近く前となるが、1985年8月12日18時56分に起きた日本航空123便の墜落事故だろう。東京羽田発大阪伊丹空港行の同社ボーイング747SR-46型機が群馬県御巣鷹山に墜落、乗員乗客524名のうち520名が死亡という大惨事だ。4名は負傷するも奇跡的に生き残った。死者数は日本国内で発生した航空機事故では過去最多であり、単独機の航空事故としても世界最多とされる。
死者数が増えた要因は、当時世界最大の旅客機であるジャンボ機の日本国内仕様という、より座席数を増やした機体に、お盆の帰省ラッシュと夕方の出張帰りラッシュが重なり、ほぼ満員の乗客が搭乗していたという不幸が重なったことが挙げられる。
筆者もそのニュースをテレビで見たのは、当日の仕事を終え、帰省のため乗船していた宇高連絡船の船内であった。テレビでの速報は19時過ぎから、断続的に入り始めたようだが、乗船した20時過ぎは、既に一部は特番に切り替わっていた記憶がある。

紫雲丸事故では、小中学校の修学旅行生も事故の犠牲に

宇高連絡船は、本州岡山県の宇野と四国香川県の高松を結ぶ旧国鉄(その後、JR四国)が運航していた旅客船だ。瀬戸大橋が開通した1988年まで、本州と四国を結ぶ主要な交通手段であった。
実は、宇高連絡船も今から60年前の1955年に、僚船の貨物船との衝突で沈没事故を起こし、愛媛県、高知県、広島県、島根県の小中学校修学旅行生100人(他に引率教員ら8人)を含む168人が犠牲となった。乗員乗客数は計841人。死者の中には船長も含まれる。
船の名前は「紫雲丸」。高松にある「紫雲山」からとったもので、筆者が通った中学校と同じ名称だ。
紫雲山近くの西方寺には、事故の慰霊碑もあり、遠足や両親に連れられて筆者も何度が訪れたことがある。母は事故当時、病院に勤めており、実際に同事故の救護にもあたったとのことで、幼い頃から海難事故の悲惨さを聞かされた記憶がある。

紫雲丸事故の前年の1954年9月26日には、青函連絡船の洞爺丸が北海道函館港外で沈没。死者・行方不明者あわせて1,155人と日本海難史上最大の惨事が起きている。乗員・乗客は1,314人で、生存者は159人に過ぎない。
洞爺丸の沈没の原因は、台風によるものだが、函館港外では、洞爺丸以外の青函連絡船4隻(第十一青函丸・北見丸・十勝丸・日高丸)も同時に沈没している。洞爺丸以外は乗客はいなかったが、乗員の多くが殉職し、洞爺丸と合わせて死者・行方不明者は1,430人に上る。
何れも、錨泊していたものだが、台風による大波や横風を受けて、開口部である車両甲板に海水が侵入、積載車両等が倒れ、転覆・沈没した。天候等は異なるものの、セウォル号の事故原因と似た面もある。なお、洞爺丸の船長は事故で死亡。

1954年の洞爺丸事故と1955年の紫雲丸事故は、我が国に大きな衝撃を与えた

1954年の洞爺丸事故と1955年の紫雲丸事故は、我が国に大きな衝撃を与え、その後の船舶運航における安全基準の厳格化とともに、青函トンネルと瀬戸大橋の建設機運を一気に高めることとなった。また、紫雲丸事故は児童の多くが溺死する事態となったため、体育で水泳の授業を進める契機にもなった。このことが日本全国の小中学校にあまねくプールが建設されることとなった要因の一つともされる。
そして、青函トンネルは1988年3月13日に、本州四国連絡橋(児島・坂出ルート、通称「瀬戸大橋」)は1988年4月10日に開通、両連絡船は退役した。

今は、行方不明者の救出を最優先に、事故の教訓を後世に伝えることも重要

二つの事故から、長い年月が過ぎたが、遺族や同級生らの悲しみは、今なお続いている。ちょうど今年及び来年は事故から60年となり、追悼及び事故の悲惨さや命の大切さを後世に伝えるための式典等も計画されているようだ。
日本でも、戦後まもなくの時期は、船不足等から過剰積載等が問題となり、二つの事故以外にも、多くの海難事故が起き、多くの人命が失われた。
船や飛行機の事故確率は、自動車よりも低いとされるものの、一度発生した際の死亡率や死亡者数等は膨大となる。
最近では、LCC(low-cost carrier)等の運航も増えているが、今回の事故を教訓に、安全第1の姿勢を今一度確認してほしいものである。

セウォル号の事故から、既に5日が経過したが、今は希望をもって引き続き行方不明者の救助に全力を尽くしてほしい。現場の状況は厳しいが、韓国内外のあらゆる機関が協力して、最善の努力を望みたい。

末澤 豪謙 プロフィール

末澤 豪謙

1984年大阪大学法学部卒、三井銀行入行、1986年より債券ディーラー、債券セールス等経験後、1998年さくら証券シニアストラテジスト。大和証券SMBC金融市場調査部長、SMBC日興証券金融市場調査部長等を経て、2012年よりチーフ債券ストラテジスト。2013年より金融財政アナリスト。2010年には行政刷新会議事業仕分け第3弾「特別会計」民間評価者(事業仕分け人)を務めた。日経債券アナリストランキング、14年連続10位内ランクイン。日経財政アナリストランキング2位(2004年〜2006年)。財政制度等審議会委員、国の債務管理の在り方懇談会委員、地方債調査研究委員会委員。趣味は、映画鑑賞、水泳、スキューバダイビング、アニソンカラオケ等。

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