アナリストの忙中閑話【第56回】

アナリストの忙中閑話

(2016年2月18日)

【第56回】子会社上場にメリットはなかったか?

株式調査部長 シニアアナリスト 三浦 和晴

第16回のアナリストの忙中閑話を書いたのが2012年1月であった。すでに4年も経ってしまった。私の怠慢については忙中閑話を書く暇さえなかったと弁明をするしかない。第16回の題は「寡占状況を作れなかったことがデジタル家電での敗因の一因」であった。その文章の最後に次回のテーマを書いておいたままであった。これを完結させたい。

前回の忙中閑話の最後に、「さらに、2000年頃から進んだ上場子会社の100%子会社化も日本企業の活力を失わせることにならなかったか、とも思っている。「官僚制の弊害」や「意思決定のスピードの遅さ」など弊害の方が多くなっていないかという点である。この点については、次回の筆者の執筆時にもう少し詳しく述べたい。」と書いた。今回はこの点について触れたい。

日本での上場子会社の100%子会社化(完全子会社化)の走りは2000年にソニーがソニー・ミュージックエンタテインメント(以下SMEJ)など3上場子会社を100%子会社化(完全子会社化)したことだったように思う。

ソニーの株主と上場子会社の株主との間に利益相反が起こる可能性や、米国などでは子会社が上場することはない、といった指摘が機関投資家からあり、当時のソニーの出井社長がこれを決断したと思う。我々ソニー担当のアナリストは単にそれだけではなく、ソニー本体とSMEJが約50%ずつ出資していたソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCEJ)を取り込むことも大きな目的のひとつであったと考えていた。SCEJは1994年末に初代プレイステーションを発売し大成功を収め、2000年3月にはプレイステーション2(以下PS2)を発売することが決まっていた。

筆者はアナリストとしてPS2も成功することを信じて疑わなかったし、PS2を梃子にソニーがシステムLSIの世界でも重要なプレーヤーになるであろうことを期待していた。その後、私が担当していた家電セクターではパナソニック(当時の松下電器産業)が松下通信工業や松下冷機などの上場子会社の完全子会社化を行った。松下通信工業も日本での携帯電話の普及期を迎えている中で100グラムを切る携帯電話を他社に先駆けて発売して、日本でトップシェアになり大成功を収めていた。

このSMEJを通じたSCEJの完全子会社化や松下通信工業の完全子会社が成功したのか失敗したのかの判断は分かれると思う。ただ、SCEJや松下通信工業の業績は完全子会社後に悪化した。これが完全子会社化の結果だと言うつもりはない。PS2について言えばシステムLSIの歩留まりが当初描いていたほどには上がらなかったことや、消費者が持つビデオゲーム機に対する値ごろ感とPS2のコストが一致せず、大きな赤字でPS2を販売せざるを得なかったこと、が業績悪化の原因である。

松下通信工業については、NTTドコモがiモードサービスを始めたことにより、消費者が携帯電話に求めるものが軽量最薄から大画面に変わったとことや、そのタイミングで松下通信工業のiモード対応携帯電話にプログラムのバグが出てしまったこと、がシェア低下や収益悪化の原因であろう。

しかし、筆者は完全子会社化によって意思決定ラインが長くなり意思決定のスピードが遅くなったこと、大企業の子会社になったことによりレピュテーションリスクを従来よりも過大に意識せざるを得なくなったこと、などにも業績悪化の一端があるのではないかと考えている。それを機に上場子会社化の功罪について考え始めた。

日本で企業の成功物語のひとつとしてよく言われてきたのは、富士電機が富士通を生み、富士通がファナックを生んだ歴史だ。時代の変化に対応する成功例として言われてきた。米国でマイクロソフトやアップル、アマゾンやグーグルがベンチャー企業の成功例として称えられるのと位相を異にする。確かに、パナソニックやソニー、ホンダなどが戦前戦後のベンチャーとして賞賛されてきたが、すでに戦後70年も経った。京セラや日本電産、ソフトバンクやDeNAなど成功したベンチャー企業もあるが米国ほど成功例は多くないのではないだろうか。

筆者はこの理由を、日本には自分の個人資産から何十億円単位でベンチャー企業に投資をできる大富豪(エンジェル投資家)が少ないからではないかと考えている。また、日本の制度や日本人の気質が、大きなリスクをとってチャレンジすることに寛容ではないという点もあろう。日本にもベンチャー投資をするファンドはある。しかし、ファンドである以上リターンを得て出資者に返金するのが目的であり、米国でエンジェル投資家がベンチャー企業の投資をするのと同じだけのリスクを取れないのではないか。

筆者は日本の戦後の成長や産業構造の転換に寄与したのは大企業の子会社群ではなかったと考えている。特に子会社の上場が大きく寄与したのではないかと思う。

初期の赤字は親会社が補填してくれるため、長期的な視点で事業の成長を考えることができる。子会社化することで意思決定ラインが短くなり、意思決定のスピードアップにつながる。あるいは大胆な意思決定をしやすい。意思決定ラインが長くなると中庸に流れてしまいがちだ。また、新規事業を行う子会社の社長には親会社の部課長クラスがなることが多く、若い人材に重要な意思決定を任せることになる。若いうちから経営を経験させる良い機会となる。大企業を立て直した経営者には、若いときに国内外の子会社のトップをつとめた人が多いと感じている。新規事業を行う子会社がひとつ失敗したくらいで本体の経営基盤が揺らぐ例は少なかろう。大企業がある程度リスクを取りながら、新規事業と次の経営層を育成することができる。中堅クラスの従業員の経営者としての力量を測ることができる機会でもある。そしてその子会社の社員に対して「従業員持ち株会」などを通じて株の保有を促せば、その子会社が上場したときにその経営陣や社員は株の売却によってリターンを得ることができる。大企業の中では赤字部門・赤字子会社の社員の賞与は、大きな利益を上げている社員の賞与よりも低くならざるを得ないであろう。子会社上場はそのような社員に夢とリターンを与えることができる。ハイリスク・ハイリターンではなく、ミドルリスク・ミドルリターンの仕組みである。

意識せざる結果であるにしても、この仕組みが日本の戦後の経済成長や産業構造の転換に寄与してきたのではないかと思うのである。親会社は子会社上場によりリターンを得るだけでなく、親会社の株主に対して上場時に子会社の株式も付与するなどして、親会社の株主にもリターンを得させる仕組みも作れるのではないだろうか。

文化的な背景の異なる米国の仕組みをそのまま取り入れることが日本の再生につながるとは思えない。デミング賞に代表されるように、米国が生んだ科学的生産方式を日本に取り入れて日本の製造業は品質を高めた。今なお「made in Japan」は世界で高く評価されている。

しかし、単にアメリカの生産方式を取り入れただけでなく「かんばん方式」のように日本流にカイゼンしながら日本に根ざした生産方式を作り上げてきた。1990年代の米国の復活は日本が作り上げた「かんばん方式」を真似て、それを「supply chain management 」といった形で米国流にカイゼンしたこともその理由のひとつではないかと考えている。米国の仕組みをGlobal Standardと考えてそれをそのまま日本に取り入れるのではなく、謙虚にそれを学んだ上で、日本の文化・風土に合う形に「カイゼン」することをもう一度考えてみてはどうかと思うのである。その一例として、子会社上場を見直しても良いのではないかと思うのである。

三浦 和晴 プロフィール

三浦 和晴

1992年大和総研入社。大阪調査部で関西の素材、その他製造、アパレル業界等を担当。98年に東京へ異動になり、家電業界担当。2010年に日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)入社、引き続き家電セクター担当。11年より、家電に加えて、精密業界も担当。2012年8月より株式調査部長に就任。

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